ノリでやっちゃう人種差別

日韓関係

わたしの伯父は韓国人だ。

といっても、彼とわたしに血の繋がりはない。彼は伯母――わたしの母の姉――と韓国で出会い、結婚した。

伯父は正直言ってとても変わっていると思うし(道端に生えた草を「これは食べられるよ」と真面目な顔で齧ってみせたりする)、宗教による価値観の違いを感じることもある。まだ中学生の頃、彼の信仰する宗教の教えを何十分もかけて語られたときはうんざりしたものだ。

そんな伯父をおかしな人だ、と思うことはあるけれども、彼が韓国人であることや、家族と話すときは韓国語を使うこと、わたしに話しかけるときですらうっかり韓国語が出てしまうことなどに、特別何かを感じたことはなかった。

それでも日本で生きていれば、自然と日本と韓国の複雑な関係について知ることになる。

若い頃に韓国に渡った伯母も、現地の人々に「日本人だ!」と睨みつけられたり、心無い言葉をかけられたことが何度もあったという。

韓国の人々が日本を憎む理由は歴史を振り返ればわかることだし、日本を“憎み続けた方が都合がいい“側面があるのもわかる(わかるってだけで容認はできないけれども)。

ただ、現在27歳のわたしにとってそういった事情は身近なものではない。自分には関係ないことだと思っているという意味ではなく、事実として、日本が韓国を統治していた時代に、わたしは生まれていなかったから。

それに、現代の日本と韓国の若者たちの多くは、憎み合うどころか互いの国の音楽やドラマ、映画なんかを好み、無意識のうちに文化交流をしていると言ってもいいだろう。わたしの好きなシンガーソングライターの楽曲が、当たり前のように韓国の飲食店などで流れているという話も聞く。

そんな中でわたしが憂いているのは、日本の若者たちの中に「ノリで韓国を馬鹿にしている人」が一定数いるということだ。

わたしの知人にも、「ノリで韓国を馬鹿にしている人」がいた。ある人が彼女の顔を見て「韓国人っぽい顔立ちだよね」と率直な感想を述べたとき、彼女が「それ悪口だから!」と言い返したのを見てびっくりしたことがある。

けれども、彼女が韓国人っぽい顔立ち=悪口だと感じること、韓国を見下していることに明確な理由はないようだった。ただたまたま周りに「ノリで韓国を馬鹿にしている人」がいたり、SNSやネット掲示板などでそういった人の投稿を見たりして、それがそのまま彼女の価値観に組み込まれてしまっただけだったのだと思う。

それに彼女が気がつかないこと、彼女だけでなく、明確な理由もなくノリだけで韓国を馬鹿にしている若者が一定数いること、それがわたしには悲しい。

この感情には、身内に韓国人がいるとか、そういったことは一切関係ないと思っている。

自分たちがノリでやってしまっていることは、立派な人種差別だ。

それに気がつけない人たちが大勢いることが、ただただ悲しく、恐ろしいのだ。

そしてこれは、人種差別に限った話ではないだろう。

インターネットやSNSの発展により、わたし達は指先ひとつで気軽に自分の主張を発信することができるようになった。それは便利であるとともに、とてつもない危険をはらんでいることは言うまでもないだろう――指先ひとつで、ノリで誰かを攻撃することができるのだから。韓国人はああだとか、芸能人の〇〇はこうだとか、同僚の△△はどうだとか、程度の差こそあれ、ノリで誰かを攻撃することが。

これは自分が母親になってから強く思うようになったことだけれども、わたしはこういったノリを、子供たちに継承したくはない。まだ穢れを知らない、澄んだ瞳を輝かせながらケラケラと笑う我が子に、ノリで誰かを攻撃するようにだけはなってほしくない。

わたし達が終わらせよう、こんなノリは。

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お静

たまに歴史の本を読み漁りたくなるにわかレキジョ、一児の母。
興味の赴くまま歴史や国際問題に関するトピックを書きつつ〝明日をちょっと照らす言葉〟を投げかけていきたい。

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